音楽には心を動かす力がある。だから音楽を楽しみたい。

[写真]高桑英世氏オルフェウス室内管弦楽団日本公演への参加、東京ポップスオーケストラメンバーとしての海外演奏活動、ユネスコのチャリティーコンサート出演など、世界的な活動を繰り広げつつ、テレビや映画の世界でも活躍する高桑英世さん。音楽との出会いや、演奏活動の中でたいせつにしているものについて、お話ししていただきました。

音楽、そしてフルートとの出会い

あれはたしか小学校の4年生か5年生のころのこと。担任の先生のお宅に遊びに行った時、先生がフルートを吹いてくれたんです。自分がなぜ今フルート奏者として生きているか、その理由を考えてみると、その時聴いた音にたどり着きます。もともと、クリスマスプレゼントにリコーダーを買ってもらったりする少年でしたから、音楽は好きでした。ピアノを習い始めたのは4歳のころ。でもそれは、早くから音楽に目覚めていた兄の影響が大きかったのだと思います。

担任の先生のお宅でフルートという楽器に出会ったその日のうちに、フルートを買ってほしいと親にお願いしました。きっと、かなり熱っぽくねだったんだと思います(何しろ、その後の人生の転機になったくらいですからね)。親も私の思いを感じてくれて、3万円くらいの楽器をすんなり買ってくれました。

芸大附属高校に落ちたことで奮起

仕事帰りに父親が勝ってきた楽器をドキドキしながら試してみると、最初から音が出たんです。音を出せたのを幸いに、しばらくは誰に習うでもなく、自分でいろいろと練習しました。強いて言うなら、テューターはNHKの「フルートとともに」。見よう見まねですね。吹き方とか、指の運びとか、具体的なところはテレビや本からは分かりません。まして、音色のイメージなど理解できない。そこで当時、聴音を習っていた三枝嘉雄さん(三枝成彰さんのお父様です)に相談し、中学入学直前から小泉浩さんの個人レッスンを受けることになったんです。

当時は音大進学とか将来はプロにといった考えはまったくありませんでした。しかし、高校受験では東京芸大音楽学部附属音楽高等学校を受験。作曲専攻に通っていた兄の影響でした。自分ではそれなりに自信があったのですが、出だしで音を間違えてボロボロ。悔しかったですね。大学は必ず芸大に入ってやると決意を固めました。芸大を狙うなら、ということでフルートに加えてソルフェージュ教室にも通いました。レッスンのある日曜日には、自宅のある藤沢から、ソルフェージュ教室のある東京・両国へ、さらに笹塚でフルートのレッスンを受けて …。というと、音大進学まっしぐら、というイメージがあるかもしれませんが、高校時代、それから大学に入ってからも、ポップス、ロック、ジャズなどさまざまなジャンルの音楽に親しんでいました。

大学1年はポップス三昧

3年前の悔しさをバネに芸大に進学。しかし、ちょうどそのころ、現在ポップスの作編曲を手がけている門倉聡さんに「藤沢でバンドやるから参加しない?」と誘われて、スタジオに入りびたり。アマチュアのコピーバンドとしてスタートしたのですが、私以外のメンバーが竹内まりあさんのバックバンドに応募。最終選考まで残ったのを契機に、半ばプロ化。メンバーと一緒に私も井上大輔さんのバンドに参加して、新宿厚生年金ホールで舞台にも立ちました。無理矢理フルートのソロを組み入れてもらったり、フルートの出番がない曲ではカウベルを叩いたり …。そんな毎日でした。

バンド活動に疲れ果てて、大学も休みがちでしたから、本業のはずのフルートの方は練習量も減ってしまいました。私の学年はフルートが9名だったのですが、山形由美さんをはじめとしてすごい人ばかり。みんなが頑張っている姿に刺激されて、大学2年のころからは、しっかりフルートに取り組むようになりました。それでも、この時期の活動を通してでポップスの世界の人たちとつながりができたのは、その後の人生にとって大きな収穫だったと思います。

「あがる」こととの戦い

大学4年の試験の時、初めて「あがる」ということを経験しました。もともと人前で演奏するのは好きだったのに、学内のホールでうまく吹くことができなかったんです。あがるというのはクセになるようで、その後もコンクールやオーケストラのオーディションなど、さまざまな場面であがってうまく演奏できないということの繰り返し。そのころは、あがることでパニックになってしまっていました。あがるのは当たり前なのだから、「あがった上でいかに普段に近い演奏ができるようにするか」と考えるようになったのは、20代も後半になってから。今でも、演奏するときは必ずあがりますよ。というより、練習している時と同じ精神状態ではありえないと思います。でも、だからこそ練習が大切なんです。自分が納得できるまで練習すれば、それが心の拠り所になります。本番で100%の力を発揮できなければ、120%、150%まで練習で高めておけばいいのです。今、私は、あがることも含めて演奏するのがとても楽しく感じられます。

演奏家にとって大切なこと

大学を卒業してからしばらくは、オーケストラのエキストラや劇団四季などでの演奏を、20代後半からは、CD、映画、ドラマ、コマーシャルなどのスタジオ音楽制作を中心に、幅広いジャンルで活動しています。演奏家の仕事は、コンサートホールやスタジオに行って、楽器を吹きさえすればそれで報酬をもらうことができます。しかし、それに甘んじていてはいけない、ということを強く感じています。中途半端な演奏では、フルートのパートを書いてくれた作編曲家の方や、自分を呼んでくれたプロデューサーに申し訳ないですし、何よりも自分自身のためにならないと思うのです。スポーツと同じで、練習を怠ると、そのまま音に現れてしいます。音楽を職業にすることは、とてもシビアなんです。いつも、最高の演奏を心がけていくことが、何より大切です。

もっとも、心がけてはいても、本当に納得できる演奏はなかなかできるものではありません。あまり納得いかないままの演奏がテレビやラジオから流れてきたり、演奏したときには良いと思っていたのに、CMなどで繰り返し流れる自分の演奏を聴いているうち、こう吹けば良かったな思えてきたりして赤面することもたびたびです。

音大を目指すみなさんへ

これから音大を目指す皆さんには、クラシックに限定することなく、幅広いジャンルの音楽に親しんでほしいですね。クラシックといっても、その時代時代のコンテンポラリーだったわけです。今、という時代を意識することは、とても大切だと思います。それから、自分自身の音楽のスタイルを早く確立することも大切です。私は大学の3年、4年になっても吹き方、音の出し方で試行錯誤を繰り返していました。人とは違う何か。奇をてらったものではない本当の個性を見つけ出すことは大変です。しかし、数多くの演奏に、できれば生で接することで、何かが見えてくるかもしれません。自分の楽器以外の演奏も積極的に聴くことをお奨めします。受験ももちろん大切ですが、その先まで視野に入れて自分自信の音楽を追い続けて下さい。

音楽には人の心を動かす力がある

最後に、若い皆さんに繰り返してお伝えしたいのは、その時々の演奏の大切さです。

9年前、阪神淡路大震災の当日、私は神戸にいました。ビルが無惨に崩れ落ちた町で、作曲家の宮川彬良さんと話したのは、「きっと、昨晩の演奏を聴きにきてくれた人の中にも、亡くなられた方がいるかもしれない。手は抜けないね」ということ。その時、その時の音楽に、何かを感じてくれる人はいるはずです。私が、小学校の担任の先生が趣味でやっていたフルートの音に接して、今の人生を歩むようになったように。

音楽には心を動かす力があります。人の心を動かすのは、演奏家が音楽を愛し、音楽を楽しんでいるからこそだということを、忘れないで下さい。


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